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最近、すべての英語圏の外国人は英語だけ話すべきで、日本語は学ばなくてもよいという内容の記事を読んだ。その記事の大まかな内容は、日本語は不必要で、もてなしてくれる日本人に好意的に応じることはないといったものだった。その記事には、よい点もばかげてる点もあったが、僕が以前から思っていた英語圏の外国人が日本で日本語学ぶことの大変さについて改めて思い出すきっかけとなった。その著者が言っていたことを1つ紹介したい。日本語の話せる西洋人はごう慢で、日本語の話せない外国人に対してただ見せびらかしたいだけだ。という一文である。
日本に住む英語圏の外国人が日本語を学ぶ際、英語圏以外の外国人に比べると有利なことが多い。例えば、多くの日本人は少し英語が話せるので、僕たちが知らない言葉やフレーズやサインを日本語に訳そうとするときに手伝ってくれる。その上、英語圏の外国人がラッキーなのは、英語圏以外の外国人に比べて早くカタカナ英語を覚えられることだ。また、日本語を学ぶための教材の多くが英語で書かれている。ベトナム人やインドネシア人向けの教材などはほとんど見かけない。でも英語圏の外国人にとって非常に不利なことが一つある。それ語の難解さとそれが人に与える影響だ。積極的に日本語を学ぶ努力をしている人なら、日本人と会ったり、コミュニケーションをとる時に起こる利害の衝突について想像がつくだろう。
言葉の腕相撲
この利害の衝突をうで相撲に例えてみよう。腕相撲では二つの要因によって勝者が決まる。たいていの場合、二人のうち強い方が勝つ。しかし、強さに加え、どちらが勝ってどちらが諦めるかを決定付ける力も重要な要因の一つだ。コミュニケーションにおいて考えると、ここで言う“強さ”は言語能力のレベルで、“力”は言葉を話そうとする意思に例えることができる。僕が自信を持って言えることは、日本人はこの“意思”の領域において僕たちを負かすということだ。日本に一年以上住んでいるのにほとんど日本語を話せない、もしくは全く話せない外国人に会ったことがあるでしょう。彼らがその“意思”失っている外国人のよい例だ。
僕はよく日本語が上手な西洋人が“言葉の腕相撲”に負けているのをよく見る。その原因は日本語の語学力ではなく、言葉を話したいという“意思”や欲求の弱さが原因だ。僕自身、正直に言うとたいていの“言葉の腕相撲”には勝っているが、何度かは意思の弱さやストレス、怠けがでて負けてしまった。他の敗因はやさしさだろう。言葉のぶつかり合いを諦めることで、親切になって相手に英語を話す機会を与えるのだ。
日本人はよく、人と人との相互関係において微妙な事柄を読み取ったり、理解する能力が優れていると言われるが、その通りだと思う。でも、僕が気付いたのは、いくら日本人がボディーランゲージや表情を読んだり、相手の気持ちを感じ取るのが得意であっても、その相手が外国人になると上手くいかないということだ。コミュニティーセンターへ日本語の勉強に通う英語圏の外国人達を例にしよう。彼らに話しかけてくる日本人は皆すぐに英語で話しはじめるのだ。これは本当に悲しいと思う。まだ日本語が初級レベルの彼らにとっては諦めてしまうのも早いからだ。日本人がみな英語で話しかけてきて、日本語を話せる機会がない状況が長く続くと結局は諦めてしまう。わざわざ時間を割いて日本語を勉強しに来ている場所で、周りの人間が日本語を使わせてくれないなんておかしいでしょう?新しい外国人がやってくるといつも、日本人はタカが獲物を見つけたかのように話しかける。
一方では、たぶん日本人は僕らが日本語が必要な以上に英語を必要としているのだと思う。きっと英語が“世界の共通語”として認識されているからだろう。日本に少ししか滞在しない人たちはきっと日本語はそれほど必要ない。でも、長期で日本に滞在する予定の外国人で、人に頼らず独立した生活したいのなら必ず日本語は必要になってくるだろう。
そこまでして彼らは僕に英語で話したい理由は、今までずっと勉強してきた英語を使うチャンスがほとんどないからだと思う。何かを6年も学んできて、それを実践する場がないなんて僕には想像できない。数学ぐらいしか思い浮かばない。僕はたいてい50%くらいの場合、英語を学んでいる人と英語で話すことは嫌じゃない。普段彼らは英語を話せるようになる為にお金を払っているからだ。だから、友達の助けになると思えば英語で話をすることは苦にはならない。
英語の商品化とそれがネイティブの英語教師に与える精神的影響
僕が気付いたマイナス面は、英語の商品化とそれが英語教師たちに与える精神的影響だ。まず、日本にいる英語圏のネイティブほとんどが英語教師として働いていると思う。彼らの職務内容には基本的に英語を話すことと、英語を学ぶのに最適なよりよい環境を提供することが含まれる。僕たちの仕事は英語を話すこと、そこに問題がある。たいていの人は、もし上司に無償で残業を頼まれたらきっと断るだろう。自分のプライベートな時間は仕事以外のことをしたいと思うからだ。だから英語教師たちにとって、英語を話すということは仕事をしているような感覚に思う。残念ながら、彼らが日本人と英語で話す時はおっくうに感じるのだ。
でも、ネイティブの人同士が英語で話すときは、どうしておっくうに感じたり、仕事の延長だと思わないのかと言う人もいるだろう。英語を話したくない場合や、体裁上話さなくてはいけない状況の時におくっくうに感じる。また、まったく興味のない話を聞かされている時もそれが仕事のように感じてしまうのだと思う。他のネイティブの人たちと話すときの良い面は、自然な英語で話せるということと、相手に対して簡単な英語で話す必要がないことだ。
英語マニア達
その他のマイナス面は、僕が英語で話すのを期待している相手に日本語で話したときに、彼らががっかりしたり、身構えたり、時に怒ったりすることだ。例えば、日本人の友達と1時間英語で話した後に、日本語で話そうとしたとします。たいていの場合、彼らは英語で返事をし、僕が3、4回日本語で返事してもまだ英語で返事を返してくる。日本語で会話しようとしてもずっと英語で返事してくるようなタイプ。僕の場合、そういった人たちは無視するか避けるようにしている。だって、きっと彼らには意地悪な人間か、おもしろい人間(こっちの方がいい)だと思われるだろうから。フィフティーフィフティーの確立で。
言葉のために友情が壊れる
言葉が原因で相手の性格を間違って判断してしまい、その結果友達やパートナーになるはずだった人を失ってしまうかもしれない。誰かとの関係が壊れてしまうといつも自分に問いかける。これからもそうだろう。完璧な世界があるとすれば、相手も自分もすべて半分づつ分かち合うことができる。でも、現実の世界だとそうはいかない。僕たちは言葉というツールをつかって物事を分析しなければいけない。僕の日本語は完璧ではないけれど、自分の語学力を信じるしかない。そのせいでもし友達になるはずだった人を失ってしまってもしかたがない。
英語圏以外の外国人と日本語の学習
これまで述べてきたのが、英語圏の人間が日本語を学ぶのは英語圏以外(ベトナム、インドネシア、中国、モンゴル)の人たちに比べると大変だという理由だ。彼らは日本語を学ぶ時にやっかいな英語という障害がないからだ。この点でいえば、日本人は英語圏以外の国の言葉にあまり関心がないので、英語圏以外の外国人にとってラッキーだと思う。日本語を話せる機会がより多いからだ。でも、英語圏の外国人もラッキーな点がある。それは、多くの日本人は自分から自己紹介をし、友達になろうとしてくることだ。それに、多くのものが英語になっているので、毎日の生活が楽である。
最後になるけれど、コミュニティーセンターでボランティアで英語を教えていたり、日本の人たちに海外の文化を伝えるサポートをしている人たちは本当に素晴しいと思う。日本はおいしい食べ物や、フレンドリーな人々、よい仕事、安全な環境、熱いお風呂、そして思いで深い経験を僕らに与えてくれた。だから何か日本にお返しをしたいと思う。僕らは皆、自分達で日本に来ること決めて来たのだから、日本が僕に与えてくれたすべての物に対して感謝したいと思う。
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